アフリカ
Africa 世界第2の大陸で面積3030万キロ平方メートル。約7億5000万を超える人々が53カ国で暮らしている。赤道を中心に熱帯雨林,サバンナ,砂漠,地中海性気候が広がり,地中海世界に属する北アフリカとブラック(黒人)アフリカと呼ばれるサハラ以南のアフリカに大別される。アフリカ大陸はエチオピアで発見されたラミダス猿人(約440万年前)などの化石人骨が示すように人類揺籃の地として知られ,ナイル川下流域では古代エジプト文明が栄えた。しかし,サハラ以南のアフリカは「暗黒大陸」として歴史的発展から取り残された未開の地,無文字社会といった誤解を招いてきた。実際には鬱蒼(うっそう)と茂る密林や行く手を阻むような砂漠にもダイナミックな歴史があり,サハラ以南のアフリカは決して孤立した土地ではなかった。このことは,前1000年頃から紀元5世紀の西アフリカから東・南アフリカ海岸へのバントゥー民族移動拡大のうねり,ラクダを利用したサハラ交易の発展を基盤としたガーナ王国やマリ帝国などの繁栄,ダウ船によるインド洋交易の結実であるスワヒリ文化,リンポポ川,ザンベジ川を利用した活発な地域間交流が産んだモノモタパ王国の栄華をみれば明らかであろう。しかしアフリカ諸社会の自律的発展はヨーロッパによって阻害されてしまった。15世紀半ばから19世紀までの大西洋奴隷貿易では,1200万~2000万人もの奴隷が運び出され,19世紀後半以降の列強によるアフリカ分割によりリベリアとエチオピアを除く大陸全体が植民地支配下に置かれ,アフリカ側の主体的抵抗にもかかわらず,政治的抑圧と経済的搾取の対象となった。第二次世界大戦後パン・アフリカニズムに支えられた民族運動の高揚の結果,1960年のアフリカの年を中心に続々と新興独立国が誕生し,91年の南アフリカ共和国のアパルトヘイト廃絶など希望に満ちた解放の動きがみられた。その一方で植民地期の遺産ともいえる貧困,旧宗主国への従属,地域紛争や政情不安,エイズ禍などのため前途は依然険しい。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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