アテネ
Athenai[ギリシア],Athens[英] 古代ギリシアの都市国家(ポリス)のうち,スパルタと並んで最も強大,文化史的にも比類を絶して多方面の天才を生んだ都市。その領域はアッティカと呼ばれ,一般のポリスのそれに比較して大変広く,多数の集落を含んでいた。中心市アテネの名は,女神アテナにちなんでおり,前2千年紀にミケーネ文明が支配した時代,そのアクロポリスには王城があった。前2千年紀末にドーリア人が北方から侵入したとき,アッティカのみは征服を免れた。それに続く暗黒時代にこの地方は多数の独立の集落に分かれていたが,前8世紀の半ば中心市アテネに集住した貴族たちが政権を握って,ポリスとしての統一が完成された。前6世紀初め借財による小農民の没落の危機がソロンの改革により回避され,また名門の支配に代わって財産に応じて参政権を認める制度となったが,政争が続き,前561年以来ペイシストラトス家の僭主(せんしゅ)政治をみた。これを倒したクレイステネスの改革により民主政治への基礎が置かれ,前5世紀初頭のペルシア戦争に際しては,アテネの重装歩兵軍と海軍とが外敵撃退に非常な手柄を立てた。その結果,アテネはデロス同盟の盟主として,ギリシア第1のポリスとなり,ペリクレスの指導のもとに民主政治を実現し,また文運の華を咲かせたが,スパルタとの間のペロポネソス戦争に敗れて以後は昔日の力を失った。前4世紀末マケドニアに屈してからは完全な独立を失い,学芸の都として知られた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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