ポーランド南西部の小工業都市で,ポーランド語ではオシフィエンチム。1940年に強制収容所が建設され,42年に建設された近郊のブジェジンカ(ビルケナウ)の収容所と合わせ(アウシュヴィツ・ビルケナウ),ナチスのユダヤ人絶滅政策の中心地となった。ヨーロッパ各地から多くのユダヤ人が移送され殺害された。犠牲者は少なくとも135万人と推計される。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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