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中ソ対立(ちゅうソたいりつ)

1956年2月のソ連共産党第20回大会におけるスターリン批判以来,中ソ両共産党の間には,世界情勢観,社会主義建設と革命の方式などの問題をめぐってしだいに理論対立が発展し,60年に入ると公然の論争になった。これに中ソ以外の共産党も加わって,国際共産主義運動は分裂し,多元化した。他方,ソ連技術者の中国引揚げ,国境紛争なども起こり,中ソ国家間の対立も進んだ。中国は,ソ連の平和共存政策に象徴される政策や理論を修正主義として断罪し,それとの闘争を第一義的な任務とみて,ベトナム戦争においても,ソ連を除いた国際反米統一戦線を主張した。これに対して,ソ連および多数の共産党は中国を教条主義,民族主義として非難した。64年10月のフルシチョフ首相解任後も,対立は解消せず,69年には国境での武力衝突も起こった。しかし,中国の改革・開放への転換後,80年代に政府間交渉が始まり,ペレストロイカによって87年国家関係は正常化された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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