中国国民党(ちゅうごくこくみんとう)
1919年孫文の指導下に中華革命党を改組,改称してできた政党。五・四運動以後国民党は新三民主義を提唱し,中国共産党,ソ連,コミンテルンに接近していった。24年国共合作が成立した。孫文が死去したのち,汪兆銘(おうちょうめい)らが党の指導にあたったが,やがて蒋介石(しょうかいせき)と共産党との対立が激化した。27年には武漢と南京に二つの対立する国民政府ができ,国共合作は崩壊した。党内で指導権を獲得した蒋介石は28年北伐を完成,軍閥支配を終わらせ,ひとまず全国を統一して国民政府を樹立した。31年満洲事変が勃発すると,国民党は日本に対して「一面抵抗,一面交渉」の態度で臨むとともに,「安内攘外」政策によって共産党を弾圧した。しかし,抗日の気運が高まるなかで36年西安事件が勃発,37年の盧溝橋(ろこうきょう)事件をとおして国民党は再度共産党と合作した。国民党は戦争初期において日本軍と戦いつつも,やがて共産党弾圧を強化した。日本と協力した汪兆銘の南京政府を斥けて45年抗日戦争に勝利したものの,以後国民党は共産党との内戦に敗れ,49年台湾へ撤退した。台湾で蒋介石は一党独裁を確立したが,80年代末より蒋経国(しょうけいこく),李登輝(りとうき)の時代に,国民党・台湾の政治が民主化されることになった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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