血の日曜日事件(ちのにちようびじけん)
Krovavoe voskresen'e 1905年革命の発端をなす労働者虐殺事件。05年1月22日(ロシア暦9日)の日曜日,警察の承認と支持のもとに労働者教化組織をつくっていた司祭ガポンに率いられて,ストライキ中のプチロフ工場の労働者を中心とするペテルブルクの労働者とその家族は,皇帝に「プラウダ(正義,真実)」を求めて,得られなければ宮殿の前で死ぬつもりだという請願書を持って,冬宮めざして行進した。待ちかまえた軍隊は,冬宮前広場ほか数カ所で一斉射撃を加えた。死者は公式発表では100人前後だが,実際はもっと多いとみられている。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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