地動説(ちどうせつ)
heliocentric theory ポーランドのコペルニクスが,『天球の回転について』(1543年)で示した説。彼の計算は,恒星年(地球が公転して基準点に戻ってくるまでの時間)にもとづいていた。だが人々の生活,回帰年(春分から春分まで)とは誤差(=歳差)が生じる。宗教改革者ルターは聖書記載からの逸脱だと痛罵し,カトリック教会からは無視された。ガリレイは自作の望遠鏡による観察から,この説を公に支持した(1613年)ため,『天文対話』(32年)出版を契機に異端審問(33年)で有罪とされた。地動説,地球球体説(1519~22年のマゼラン一行の世界周航で実証,大地が平面でなく球面だとする説)は,当時の聖界,俗界とも顧慮しなかった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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