プロイセン‐オーストリア戦争(プロイセン‐オーストリアせんそう)
Deutscher Krieg[ドイツ],Austro-Prussian War[英] 普墺(ふおう)戦争ともいう。ドイツ統一途上におけるプロイセンとオーストリアの戦争。ビスマルクのプロイセン首相就任(1862年)後,ドイツ連邦の主導権をめぐって両国の対立が激化し,シュレースヴィヒ‐ホルシュタイン問題に端を発して,1866年6月開戦となった。ビスマルクは巧みな外交工作でフランス,ロシアに中立を守らせ,モルトケの作戦下にオーストリアの主力をたちまち撃破し,わずか7週間でオーストリアを降伏させ,プラハの和を結んだ。その結果オーストリアはドイツから締め出され,プロイセン中心の北ドイツ連邦が組織されて,ドイツ統一への基礎ができた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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