プロイセン
プロシアともいう。元来バルト海沿岸に居住したスラヴ系のプロイセン人よりその名が生じたが,13世紀ドイツ騎士団がこの地を征服しドイツ人の国を建てた。16世紀ホーエンツォレルン家の騎士団長がプロテスタントに改宗してプロイセン公国を始めた。17世紀同じくホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯国と同君連合で結びついてブランデンブルク‐プロイセンとなったが,1701年プロイセン公国が王国に昇格したため,ブランデンブルクを含め国全体がプロイセン王国と呼ばれるようになった。18世紀フリードリヒ2世(大王)の代にオーストリアからシュレージエンを奪うなどして大国としての地位を築き,19世紀にはプロイセン‐オーストリア戦争に勝って小ドイツ主義的なドイツ統一をなしとげた。ドイツ帝国内では指導的連邦国であり,ヴァイマル共和国でも中心的な連邦州であったが,第二次世界大戦後,連合国の命令で解体,消滅させられた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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