パリ講和会議(パリこうわかいぎ)
Paris Peace Conference 第一次世界大戦後の,戦勝国の講和会議。アメリカのウィルソン大統領の「十四カ条」を原則に,1919年1月18日からパリで開かれた。会議ではその平和原則も,英仏などの既得権擁護の政策により重大な修正を受けた。領土改定,ドイツの軍備制限,賠償義務,戦争責任など重要な講和条件問題はすべて大国間で協議し,これを他の戦勝国も参加する全体会議で承認させ,その結果作成されたヴェルサイユ条約案を本会議でドイツに一方的に強要する(口頭での異議は許さず文書による応酬のみの)形式がとられた。会議の主役はロイド・ジョージ(英),クレマンソー(仏),ウィルソン(米)で,これに日伊がときに加わったが,英仏が決定的役割を演じ,ウィルソンでさえ本来の主張を貫けなかった。戦勝国であったはずのロシアの革命政権は招かれず,会議から排除された。ロシア革命の主張にも影響を受けて無併合・無償金や民族自決を原則として出発しながら,敗戦国の犠牲のうえに戦勝国側の利害追求が支配する結果となり,民族自決権はロシア革命の影響を封じこめるために,東・南欧地域に限定され,アジア,アフリカの諸民族の自決は実現されえなかった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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