ポーランド回廊(ポーランドかいろう)
Polish Corridor ヴェルサイユ条約によって,ポーランドの海への出口として与えられた旧ドイツ領地帯。この地帯にはドイツ人も居住し,また,東プロイセンのドイツ本国との分離は,ドイツにとって不利であったので,ナチスの政権掌握後はダンツィヒと並んで,ドイツとの係争問題となった。ヒトラーは1935年回廊を通過する鉄道,道路の設置を要求したが,ミュンヒェン会談以降さらにその要求を積極化した。39年3月からダンツィヒと回廊をめぐるドイツ‐ポーランド交渉は国際問題となったが,武力侵略を意図するドイツの態度は強硬で,交渉は失敗し,第二次世界大戦の導火線となった。現在はポーランド領に復している。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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