インターナショナル
・第1インターナショナル The First International 1864年9月にロンドンで結成された,世界最初の国際的な労働者の大衆組織である国際労働者協会(International Working Men's Association)をさす。西ヨーロッパ諸国の労働運動の発展を背景とし,63年のポーランドの反乱に対する英仏労働者の支持運動が創立の契機となった。創立宣言と規約はマルクスによって起草され,ヨーロッパ諸地域で発展しつつあった労働運動の相互連帯が説かれた。創立当初からマルクス派とプルードン派が対立したが,しだいに前者が優勢となり,68年の大会では土地や鉄道などを社会的に共同所有する必要が提唱された。パリ・コミューンののち,これを公然と支持した協会に対する各国政府の弾圧が強化され,また協会内部でマルクス派に反対するバクーニン派が台頭したこともあり,72年のハーグ大会で協会は実質的に活動を停止した。・第2インターナショナル The Second International 1870年代後半から80年代にかけて欧米諸国に社会主義政党が設立され,工業労働者の増大とともにその勢力を増していた。こうした状況のなかで国際的な労働者組織の再建要求が高まった。89年7月,パリで欧米19カ国の代表参加のもとに国際労働者大会が開かれ,そこで新たな組織の創立が決定された。この組織は結成当初,正式な名称を持たなかったが,1900年の第5回大会以降,国際社会主義者大会と称するようになり,その後,第3インターナショナル(コミンテルン)が登場するとそれとの対比で第2インターナショナルの名称で呼ばれるようになった。この組織は,すでに独自の発展をとげていた各国の労働者政党,労働組合のゆるい連合体であった。ただ,1896年のロンドン大会でアナーキスト(無政府主義者)が排除されるとマルクス主義が優勢となり,なかでもドイツ社会民主党(SPD)が大きな位置を占めた。帝国主義列強の対立が激化するなかで,労働問題をめぐる協議とともに反戦平和が重要な課題となり,戦争反対の決議(1907年,12年)が行われた。しかししだいに,改良主義右派,ベーベル,カウツキーらの中央派,革命を志向するレーニンらの左派の間で,議会主義や植民地,戦争といった問題をめぐる対立が深まった。こうした矛盾は,第一次世界大戦が勃発すると一挙に露呈する。ドイツ,オーストリア,フランス,イギリスなど社会主義政党が自国政府の戦争遂行策を支持したことにより各国の社会主義政党間の連帯は崩壊し,その後1920年に組織は事実上消滅した。・第3インターナショナルコミンテルン (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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