イリ条約(イリじょうやく)
1871年ロシアは,当時新疆(しんきょう)全域に進行中であったムスリムの反乱を利用して,以前清国領であったイリ地方を占領し,清が撤兵を要求しても,ロシアは新疆の秩序の回復するまでは交渉に応じないとの態度をとった。75年以来,左宗棠(さそうとう)の新疆平定作戦が進行し,78年に至って全土は清の支配下に帰して治安が回復し,ただイリ地方を残すのみとなった。そこで清とロシアの交渉が開かれ,崇厚(すうこう)が代表としておもむき,両国間の通商,分界,賠償問題について議し,クリミアでリヴァージャ協定を結んで帰ったが,恭親王奕_(えききん),張之洞(ちょうしどう)らの反対が激しく光緒帝の批准が得られなかった。81年に至って曾紀沢(そうきたく)が新たに交渉を再開し,ペテルブルクにおいてイリ条約を結び,国境線を定めてイリ地方は清に返還された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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