1935年12月9日に北平(北京)の学生が中心になって起こした日本に対する抗議運動。日本軍は35年に入ると華北への影響力拡大を一層強化し,11月には河北省東部に冀東(きとう)防共自治委員会を成立させて,華北分離工作を進めた。これに対し,中国の国内世論は強い抵抗を示した。この運動は,抗日救国運動を高め,西安事件勃発の契機となった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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