イタリア‐エチオピア戦争(イタリア‐エチオピアせんそう)
19世紀末以降,イタリアとエチオピアの間で2度にわたって行われた戦争。・〔第1次〕イタリアは東アフリカの植民地エリトリアを拠点に1895年,メネリク2世のエチオピア帝国への侵略を開始したが,96年3月,アドワの戦いで大敗し,同年10月エチオピアの独立を承認した。この戦いでイタリア軍の総勢1万7500のうち約5500人が戦死し,約2700人が捕虜となった。・〔第2次〕その後,ムッソリーニによるファシズム体制を築いたイタリアは,イタリア領ソマリアとエチオピアとの間の国境紛争を理由に,1935年侵略を開始,36年首都アジス・アベバに入城し,イタリア領エチオピア帝国を宣言した。皇帝ハイレ・セラシエ1世はイギリスに亡命。しかし,その後ゲリラ軍とイギリス軍の攻撃を受け,41年にイタリアの支配は崩壊し,エチオピアの主権が回復した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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