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カロリング朝(カロリングちょう)

Carolingian 751~911,987 代々メロヴィング朝アウストラシア分王国の宮宰(きゅうさい)職を務めてきたピピン家が,751年のピピン3世(小ピピン)のときに王権を掌握し,のちのフランスとドイツの領土的輪郭を決定したヴェルダン条約(843年)とメルセン条約(870年)による分割をへて,フランスでは987年まで,ドイツでは911年まで続いた王朝。ピピン2世の庶子であったカール・マルテルが直接の始祖であるところから「カールの子孫」の意味で,「カロリング」と呼ばれた。国王即位に塗油の儀礼が導入された理由は,メロヴィング朝の廃絶を強行しての権力掌握を,正統性の面から強化する狙いがあったものとみられる。この王朝の最盛期は,ピピン3世の息子カール大帝の治世であった。今日の「ヨーロッパ」の概念はこの時代に誕生した。大帝の時代に東はエルベ川,西は大西洋,北はバルト海,南はピレネー山脈まで帝国の領土を広げた。774年ランゴバルド王国を征服して領土とし,800年クリスマスには「西ローマ皇帝」として教皇レオ3世の手で戴冠された。内政では騎馬兵制の充実,巡察使制度の創設,カロリング・ルネサンスと呼ばれる古典文化の復興を実現し,また対外的には遠くアッバース朝カリフとの交流も進めた。だが帝国は大帝の息子ルイ1世(敬虔王)と孫たちの時代に,親子間,ついで兄弟間の争いが頻発して,西フランク王国,東フランク王国,中王国に三分された。いずれも10世紀には消滅して,この王朝の支配は終焉を迎えた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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