カラキタイ
Khara Khitay 黒契丹(くろきったん)ともいう。漢文史料では西遼。遼の滅亡に際して,王族の耶律大石(やりつたいせき)が外モンゴルをへて西走し,カラハン朝を征服して建てた王朝。チュー川上流に都フス・オルダを1133年に建設した大石(徳宗)はグル・ハン(あまねき王)を称した。感天皇后,仁宗,承天太后に次ぐ5代目の直魯古(ジルク)が,チンギス・カンに追われてきたナイマン部のクチュルクにグル・ハン位を奪われて(1211年)滅亡した。領域は東西トルキスタンに及んだが,徴税代官派遣などによる間接支配が基本で強力な軍事支配ではなく,現地貨幣が維持され,トルコ・ムスリム商人らによる東西貿易が行われた。しかし漢字銘の貨幣を発行し,王族は契丹伝統の牛馬祭祀や仏教を奉じるなど,当時のイスラーム世界に東方文化を及ぼした。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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