カージャール朝(カージャールちょう)
1796~1925 イランのトゥルクメン系王朝。ザンド朝,アフシャール朝を倒しイラン高原を統一したアーガー・ムハンマドによって樹立された。首都テヘラン。英露を中心とする西欧列強の進出に直面し,2度のロシア‐イラン戦争によりカフカース領をロシアへ割譲(1813年ゴレスターン条約,1828年トルコマンチャーイ条約)。48年から52年にかけてはバーブ教徒の乱による大きな社会不安も体験した。48年宰相となったアミール・キャビールは多方面にわたる近代化改革を進めたが,51年に暗殺された。宮廷の濫費もあいまって財政は破綻し,60年代以降,さまざまな利権の西欧資本への譲渡が行われた。このようなカージャール朝に対する臣民の抵抗は,91~92年のタバコ・ボイコット運動をへてイラン立憲革命につながり,1906年には立憲制が樹立された。第一次世界大戦後,国内各地に社会主義革命政権が樹立され混乱,軍部を背景に事態を収拾したレザー・シャーが25年にパフラヴィー朝を興すにあたり,カージャール朝の廃止も決定された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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