カザフ・ソヴィエト社会主義共和国(カザフ・ソヴィエトしゃかいしゅぎきょうわこく)
ソ連を構成していた共和国の一つ。ロシア革命期,カザフ知識人はアラシュ・オルダ自治政府を形成したが,内戦でソヴィエト政権が勝利し,1920年にカザフ(25年までロシア語ではキルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国が成立した。25年と30年に領域が修正され,36年に連邦構成共和国に昇格。首都は初めオレンブルグ,25年からクズルオルダ,29年からアルマトゥ(アルマ・アタ)。29~33年,全面的農業集団化と遊牧民の強制的定住化に伴う飢餓と疫病で,175万人が死んだといわれる。第二次世界大戦の直前と戦中に朝鮮人,ドイツ人,北カフカース諸民族などがソ連各地からここに強制移住させられた。54~60年に大規模な農地開発(処女地開拓)が行われ,ロシア人などの流入がさらに進み,共和国人口に占めるカザフ人比率は30%に低下したが,その後は上昇。86年,共産党のコナエフ第一書記が辞任し,後任にロシア人のコルビンが選ばれると,これに抗議するデモ隊と治安当局が衝突する事件が起きた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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