元寇(げんこう)
1274年(至元11年,文永11年)と81年(至元18年,弘安4年)の2回,元軍が日本に遠征した事件。日本では文永・弘安の役,蒙古襲来ともいう。元の世祖クビライは高麗(こうらい)を服属させたのち,さらに日本征服を企てて,1266年来,数度日本に遣使して服属を迫ったが,北条時宗(ときむね)を執権とする鎌倉幕府は返牒(へんちょう)を与えなかった。74年,モンゴルと高麗の連合軍が艦船900隻で博多湾に来襲したが(文永の役),台風にあい敗走した。世祖は素志を貫くべく80年征東行省を設け,81年モンゴル・中国・朝鮮連合の東路軍4万人,旧南宋の江南軍10万人を派遣し,博多湾侵入を企てたが(弘安の役),再度台風と反撃にあい壊滅した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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