元(げん)

Yuan 1271~1368 モンゴル帝国の第5代皇帝クビライ(世祖)が1271年建国,モンゴル高原から進出し,79年南宋を滅ぼして中国を統一し,大都(北京)に遷都して中国風の専制的官僚支配を行った異民族王朝。クビライは対外的にはモンゴル,満洲,中国を中心部とし,チベット,朝鮮を属国とする元朝最大の領土を支配した。対内的にはモンゴル至上主義,遊牧優先の原則に立ち,特に中国に対しては民族的身分制を立て,(1)モンゴル人,(2)色目人(しきもくじん)を支配階級に,(3)漢人(金朝遺民),(4)南人(蛮子(まんじ)=南宋遺民)を被支配階級とした。中央官制では皇帝とモンゴル貴族が絶対権を持ち,地方官制は宋,金の制を受けつつ分権的に統治し,統一維持のために駅站(えきたん)(ジャムチ)・運河などの交通制度,社制などの郷村制度,交鈔(こうしょう)などの貨幣制度を整え,パクパ文字などで国粋保存を図った。しかしカイドゥ(海都)の乱を契機にハン位の相続が不安定となり,宮廷貴族の専横や,モンゴル至上主義による誅求が財政・社会不安を生み,白蓮(びゃくれん)教徒の乱が滅亡をもたらした。元の文化は国際的・現実的で,キリスト教,イスラーム教が流布し,チベット仏教が興り,自然科学も発達した。一方,儒教,詩文などの中国文化は不振で,むしろ元曲,南曲などの俗文学が栄え,また文人画が興って南画,山水画が大成された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

この記事が気に入ったらいいね!しよう