コンゴ動乱(コンゴどうらん)
独立直後のコンゴ民主共和国で起こった政治混乱をさす。宗主国ベルギーが十分な準備のないまま独立を決めたため,独立時のコンゴは国内諸勢力間に激しい利害対立を抱えていた。特に鉱物資源の収益配分をめぐる対立は深刻で,中央集権的な統治をめざすルムンバ首相に対して,主要な鉱産物生産地カタンガ州の指導者層は強い敵意を抱いていた。国内諸勢力はそれぞれ国外に支援勢力を求め,冷戦体制のもとで内乱が国際化した。1960年7月初め,待遇改善を求める兵士の反乱が全国で起こると,混乱に乗じてカタンガ州が分離独立を宣言し,コンゴは四分五裂の状況に陥った。カタンガ州はベルギーの支援を受けており,これに反発したルムンバは東側諸国に接近した。コンゴの共産化を恐れるアメリカは,より穏健なカザヴブ大統領や陸軍参謀長のモブツを支援し,失脚したルムンバはカタンガ州勢力の手で暗殺された。カタンガの分離独立は国連軍の介入により1963年に終止符が打たれたが,その後も地方で反乱が続いた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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