五・四運動(ご・しうんどう)
1919年5月4日,北京で起こった愛国運動。19年パリ講和会議で中国の要求が通らなかったうえ,二十一カ条要求に同意したことが暴露され,中国人は帝国主義諸国,特に日本と,これに結びつく国内封建勢力に強い怒りを覚えた。5月4日北京の学生約3000人はデモを行い,二十一カ条要求の当事者曹汝霖(そうじょりん),陸宗輿(りくそうよ)らの罷免などを要求し,曹の家に放火した。段祺瑞(だんきずい)政府はデモ隊を弾圧し,負傷者,逮捕者が多数出た。学生は連日,民族の危機,日貨排斥などを市民に訴え続け,6月3日になると運動は市民,労働者の間に広まり,支援罷業が全国各地で行われた。16日には上海に全国学生連合会が,ついで全国各界連合会が結成された。こうした運動の高まりの前に,段政府は6月7日逮捕した2000人の学生を釈放し,9日曹ら3名を罷免し,28日には講和条約の調印拒否を内外に声明せざるをえなかった。この運動を契機に知識分子に分裂が生じ,李大_(りたいしょう)らに代表された左翼分子は中国共産党の成立を準備した。一方,孫文は国民党の大衆化の必要を学び,国共合作への道を追求した。労働者が自覚をもって革命運動に参加し,軍閥と帝国主義が一体であることを暴露した点などから,中国革命史上新民主主義革命への端緒を開いた画期的事件であるとされている。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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