Hou Jing 503~552 朔方(さくほう)(陝西(せんせい)省楡林(ゆりん)県)か雁門(がんもん)(山西省太原市)の人。初め北魏の北辺警備の武将で,北魏末の乱で高歓(こうかん)に従い,東魏の河南を守った。のち梁(りょう)に帰属したが,反乱を起こして都の建康(南京)を陥れ,国を漢と号した。やがて敗死したが,南朝の貴族制は大打撃を受けた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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