メディチ家(メディチけ)
Medici フィレンツェの大金融業者,商人,のち君主。フィレンツェ近郊のムジェッロの出身。商業で富を得て,13世紀末頃フィレンツェに移住。まずシルヴェストロ(1311~88)がチォンピの乱の頃,小市民の側に立って政治に活躍。ついで別家系のジョヴァンニ(1360~1429)が金融業で富を得て,旧財閥に対抗して政界に進出し,メディチ家興隆の基礎を築いた。その子コージモとコージモの孫ロレンツォは市政に君臨し,フィレンツェの黄金時代を現出した。ロレンツォの子ピエーロ(1472~1503)のときに市から一時追放されたが,1512年ピエーロの子ロレンツォ2世(1492~1519)のときに復帰。27年に共和政が成立して再び追放されたが,31年ロレンツォ2世の子アレッサンドロ(1510~37)がカール5世の支持を得て復帰し,フィレンツェ公となった。彼の死後,コージモ(イル・ヴェッキオ)の弟の系統のコージモ1世(1519~74)が公位を継ぎ,69年にトスカーナ大公となる。18世紀半ばジャン・ガストーネ(1671~1737)で同家は断絶した。その間,教皇を二人(クレメンス7世とレオ10世),フランス王妃二人(アンリ2世妃カトリーヌとアンリ4世妃マリ)を輩出した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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