日露通好条約(にちろつうこうじょうやく)
1855年2月7日(ロシア暦1月26日),下田で締結された日露国交条約。ロシア側全権プチャーチンと日本側全権川路聖謨(かわじとしあきら)はクリル諸島(千島列島)における国境分界に成功し,択捉(えとろふ)以南は日本領,ウルップ以北はロシア領とすることになった。話し合いのつかなかったサハリンについては「是迄仕来りの通りたるべし」となった。この他,箱館,下田,長崎の開港,そこでの交易,1港へのロシア官吏の駐在,領事裁判が定められた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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