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オスマン帝国(オスマンていこく)

1299~1922 アナトリアとバルカンを根拠に,中東,東欧,北アフリカの地域に支配権を行使した大帝国。建国者はオスマン1世で,アナトリアの西北部から台頭した。1326年ブルサを占領して都とし,ビザンツ勢力をアナトリアから駆逐した。1353年頃バルカンに進出し,14世紀末にはほぼ征服を完了。エディルネに遷都した。バヤジット1世のとき,アンカラの戦いでティムール軍に敗れ,一時後退するが,すぐに復興を果たした。1453年,メフメト2世はビザンツ帝国を滅ぼしてコンスタンティノープル(イスタンブル)を首都とした。1517年,マムルーク朝を滅ぼしてエジプトを手に入れ,メッカ,メディナの保護者となり,名実ともにスンナ派イスラーム世界の盟主となった。16世紀中葉スレイマン1世の治下で最盛期を迎え,その版図は,北はロシア南辺,南はサハラ砂漠,西はハンガリー,東はイラクに及び,さらに,黒海,エーゲ海と地中海の制海権も握った。だが,17世紀には拡大がやみ,西欧との力関係の逆転,体制の老朽化により衰退に向かう。18世紀に入るとロシアの南下に苦しみ,領土は縮小し続けた。18世紀後半以後セリム3世,マフムト2世は西欧の技術を導入するなど一連の改革を試みるものの成果はすぐに得られず,被支配民族の反乱もあいついだ。タンジマート期(1839~76年)には近代化のための諸改革が行われ,一時立憲制も実現するが,すぐに専制体制に戻り,財政の破綻から列強の経済的植民地と化す。1908年青年トルコ人革命によって立憲制が復活するが,親独政策の結果第一次世界大戦に敗れ滅んだ。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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