1878~1944(在位1925~41) イランのパフラヴィー朝の創設者。カスピ海南岸の出身。若くしてカザーク兵団に入り,1921年カージャール朝末期にクーデタに成功。軍司令官として実権を掌握し,25年王朝を創設し即位。ケマル・アタテュルクを手本に,各種の改革を断行。第二次世界大戦中,41年9月英ソの圧迫により退位し,44年ヨハネスブルグで客死した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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