李舜臣(りしゅんしん)
I Sun-sin 1545~98 朝鮮王朝時代の軍臣。壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱(文禄・慶長の役)のときの水軍の指揮者。本貫(ほんがん)は徳水。字は汝諧(じょかい)。1576年(宣祖9年)武科に及第し,壬辰の倭乱の起こる前年に全羅左道水軍節度使に任じられた。壬辰の倭乱では彼自身が改良を加えた亀甲船をもって豊臣軍を大いに苦しめ,制海権の確保に尽くした。97年(宣祖30年)に無実の罪で逮捕され,処刑されかけたが,丁酉の倭乱の過程で再度登用され,海戦の指揮にあたった。翌年,露梁(ろりょう)の海戦の際に銃弾を受けて戦死した。死後,忠武と諡された。文集に『忠武公全書』がある。現在も日本の侵略を破った救国の英雄として尊敬を集めており,韓国各地にその像や,彼を記念する建造物が多くつくられている。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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