ロシア革命(ロシアかくめい)
近代化の進まないロシア帝国は20世紀に入ると矛盾に引き裂かれ,日本との戦争のなかで1905年革命を迎えた。革命後,ロシアは二院制の議会と専制皇帝が協力する立憲専制国家に変わったが,このシステムは改革の推進のためにうまく機能せず,第一次世界大戦前夜にはブルジョワジーと労働者が同時に体制批判の動きを起こすに至った。世界戦争のなかで革命は変貌した。17年2月首都に起こった労働者兵士の革命はブルジョワ市民の革命と合流して,専制を打倒し,二月革命を実現した。首都に生まれた労働者兵士ソヴィエトの支持を得て,国会諸党派の委員会を基礎に臨時政府が成立した。実現した自由の空間のなかで,農民の革命,民族の革命が起こった。ケレンスキー首相の臨時政府は,ソヴィエトからも閣僚を迎えて,権力の基盤を固める努力をはらったが,戦争はやめられなかった。そのため労働者兵士は離反し,農民革命,民族革命にもうまく対応できなかった。ボリシェヴィキのレーニンは,世界戦争から救われるには,資本主義を打倒し,社会主義へ飛躍しなければならないと考え,ドイツの戦時統制経済のなかに救いを見出した。彼は革命権力がこの政策を実現すれば,ロシアも社会主義へ前進できるとした。トロツキーらが中心になって,労働者兵士ソヴィエトの支持を得て,臨時政府を倒し,ボリシェヴィキ政権を樹立した。これが十月革命である。新政権は,土地を農民のものと宣言し,平和を諸国民に訴えた。しかし,この呼びかけはドイツ側にしか反響を得られず,連合国は敵対的であった。軍隊の民主化が実現すると,革命的兵士集団は解体し,新政権は民族,農民とも対立した。18年7月内戦が起こり,連合国が軍事干渉してくるなかで,戦時共産主義の体制をとって戦いぬき,ついに21年内戦に勝利した。内にはボリシェヴィキ=共産党の一党独裁と工業国有化,外には世界革命組織コミンテルン――これが革命後の新体制である。ロシア革命は世界に衝撃を与えた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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