サーマーン朝(サーマーンちょう)
875~999 中央アジアのイラン系王朝。8世紀前半にイスラームを受容した地主層出身のサーマーン・フダーを祖とし,一族のナスルが875年にアッバース朝のカリフからマー・ワラー・アンナフルの支配権を認められて独立した。その弟のイスマーイールのとき,東部イランをも領内に組み入れ,草原地帯に遠征してトルコ系遊牧民の侵入を防ぐ一方,彼らを奴隷軍人として重用した。しかし権力を握った彼らの抗争によって弱体化し,999年カラハン朝に滅ぼされた。首都ブハラの宮廷を中心にイラン・イスラーム文化が栄え,イスラーム諸学や哲学,科学,文学などが発達した。哲学者,医学者として名高いイブン・シーナー,古典ペルシア文学の基礎を築いたルーダキー,フィルドゥシーなどが輩出した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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