セルビア蜂起(セルビアほうき)
Srpski ustanci 1804年と15年の2度にわたって生じたオスマン帝国からの解放をめざすセルビア人の蜂起。(1)第1次オスマン政府の統制を離れてセルビア人に圧制を加えたイェニチェリの行為に対する反乱として生じた。当初,豚商人カラジョルジェを指導者とする蜂起は政府に旧秩序の回復を求める請願運動の色彩が強かったが,05~06年に蜂起の鎮圧に乗り出したオスマン軍と初めて戦火を交えるに及び,その性格は反オスマン帝国に変化した。ロシア‐トルコ戦争を始めたロシアの支援を期待し,独立をめざす戦いとなった。しかし,ロシアはすぐに休戦協定を結んだため,セルビアは単独でなお独立の戦いを継続。13年,圧倒的なオスマン軍の攻撃にあい,蜂起は鎮圧された。(2)第2次ナポレオン戦争が終結した15年,豚商人のミロシュ・オブレノヴィチを指導者とする蜂起が生じた。ミロシュは独立ではなく自治を求めて,オスマン政府と粘り強い交渉を続け,30年にセルビア公国として自治を承認された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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