ジンナー
Mohammad Ali Jinnah 1876~1948 パキスタン建国の父。ホージャ派ムスリム出身で,インド・ムスリムのなかの少数派に属した。初めはインド国民会議派の穏健派として活動。ムスリム連盟に正式に加入したのは,連盟創設から7年経った1913年であった。16年に連盟の議長に選出されると,連盟と会議派の政治協定(ラクナウ協定)の締結に尽力した。しかしガンディーの指導する非協力運動に反対し,会議派から離れた(20年)。20年代から30年代初頭にかけては,イギリスで生活するなど政治的に孤立したが,34年に帰国。連盟の組織を再建し,40年には二民族論にもとづくパキスタン決議を採択させ,第二次世界大戦中に連盟の組織を地方にまで伸ばし,ムスリム大衆の間に根づかせることに成功した。パキスタン独立とともに初代総督に就任したが,48年病死した。近代的・合理的かつ冷徹な性格の政治家として知られ,パキスタンは世俗国家であるとした。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう