神聖ローマ帝国(しんせいローマていこく)
中世より19世紀初頭に至るまでドイツを中心にその周辺に広がった帝国の呼称(第一帝国)。世界帝国としてのローマ帝国の理念を受け継ぎ,元来はドイツ王国,イタリア王国,ブルグント王国を包摂する「超地域的」国家だが,皇帝の支配権がドイツに限定されるに従って,15世紀末より「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と呼ばれるようになった。起源は,原理上カール大帝の戴冠で,実質上は962年ローマでのザクセン朝のオットー1世の戴冠と考えられる。皇帝は血統権も考慮した選挙制で選出され,本来ローマ教皇による戴冠を必要とした。国制は台頭する諸侯権力を抑制するため,皇帝に直属する教会,修道院をその支柱とし(「帝国教会政策」),11世紀ザリエル朝期にこの体制は最高の発展をとげた。しかし叙任権闘争は教会との結合を弱め,聖俗諸領邦の自立化を促した。ホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ1世は再び帝権を強化したが,フリードリヒ2世のイタリア経略への専念は領邦分立を助長し,その死後まもなくの大空位時代をへて,この趨勢(すうせい)は決定的となった。14世紀以後皇帝選挙制の原理が確立し,金印勅書がこれを確認した。1438年以後帝位は事実上ハプスブルク家に定着したが,宗教改革と三十年戦争,ウェストファリア条約をへて皇帝の統制力は弱まり,帝国は300余の諸領邦の集合体として形骸化した。ナポレオン支配時代の1806年,帝国諸侯のライン同盟が帝国よりの脱退を宣言したために,最後の皇帝フランツ2世は帝冠を辞し,ここに帝国は完全に崩壊した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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