秦(しん)
Qin ・?~前206 中国最初の統一王朝。初め甘粛東部にあり,前8世紀に周の諸侯となり,渭水(いすい)に沿って東進し,前4世紀の孝公以来急速に発展した。前256年周王室を滅ぼし,秦王政(始皇帝)のとき韓,趙(ちょう),魏,楚(そ),燕,斉の順に6国を滅ぼし,前221年天下を統一した。始皇帝は法治集権の統一国家体制をとって諸政を一新した。中央に丞相(じょうしょう)(行政),太尉(軍事),御史大夫(ぎょしたいふ)(司法)の3長官を置き,地方には封建制を廃して郡県制をしいた。思想統一(焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)),文字・度量衡・貨幣の統一を行い,北は匈奴(きょうど)を討って万里の長城を築き,南は_越(びんえつ),南越を併せた。しかし始皇帝が死ぬと,各地に反乱が起こり秦は瓦解した。秦の版図は今日までの中国の範域をほぼ規定した。その中央集権的専制政治は歴代王朝の政治形態となった。都は前350年以降咸陽(かんよう)。・〔五胡十六国〕五胡十六国の王朝で,前秦,後秦,西秦がある。(1)前秦(351~394)_(てい)族の苻建(ふけん)が長安を都として建てた王朝。苻堅(ふけん)のとき一時華北を統一したが,_水(ひすい)の戦いで敗れて崩壊した。(2)後秦(384~417)羌(きょう)族の姚萇(ようちょう)が長安を都として建てた王朝。一時華北の大半を領有したが,東晋の劉裕(りゅうゆう)の北伐で滅んだ。(3)西秦(385~431)鮮卑(せんぴ)の乞伏国仁(きっぷくこくじん)が建てた王朝で,金城(甘粛)を都としたが,夏に滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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