シュレージエン戦争(シュレージエンせんそう)
シュレージエンの領有をめぐるプロイセンとオーストリアの戦争。オーストリア継承戦争および七年戦争の一部をなす。(1)第1次(1740~42年)同地方の一部の領有権を主張するプロイセンのフリードリヒ2世は1740年12月に出兵,継承問題に悩むマリア・テレジアの苦境に乗じてその割譲を求めた。拒絶されるや兵を進め,42年7月,ベルリンにおける条約で全シュレージエンの領有をオーストリアに認めさせた。(2)第2次(1744~45年)その後オーストリア継承戦争がオーストリアに有利に展開したため,シュレージエンを奪回されることを恐れたフリードリヒ2世は再び戦端を開き,1745年12月ドレスデンの条約でオーストリアにベルリン条約を確認させた。(3)第3次(1756~63年)七年戦争のことをいう。この結果シュレージエンはプロイセン領と確認された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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