周恩来(しゅうおんらい)
Zhou Enlai 1898~1976 中国現代の政治家。江蘇省淮安(わいあん)の人。中国共産党の代表的指導者。一貫して国務院総理を務める。不倒翁とよばれ,幾多の政変にもその地位を保ち続けた人生は波瀾に富む。1917年日本に留学,五・四運動が起こると帰国,天津の学生運動を指導した。20年に渡仏し,ヨーロッパの共産運動に参加。帰国後,国共合作のなかで黄埔(こうほ)軍官学校の政治部主任となる。国共分裂後上海でストライキを指導,27年南昌暴動を組織。遵義(じゅんぎ)会議では毛沢東を支持した。36年の西安事件では蒋介石(しょうかいせき)を説得して抗日民族統一戦線の結成に成功した。中華人民共和国成立後,インドのネルーとともに平和五原則を提唱,米中接近や日中国交正常化交渉でもその外交手腕を遺憾なく発揮した。文化大革命中は紅衛兵の暴走を抑え,幹部たちを過度の迫害から救った。晩年,江青(こうせい)から批判を受けたが,「四つの現代化」を提唱,_小平(とうしょうへい)の復活に尽力した。その廉直な人柄は今なお中国民衆に敬愛され続けている。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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