スペイン領フィリピン(スペインりょうフィリピン)
南部イスラーム地域を除き,1898年12月のパリ条約でアメリカ領とされるまでの約330年間,スペインの世俗権力と教会とが密接不可分に結びついた支配が行われた。フィリピンの名は,スペイン皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)に由来。1565年にセブ島に上陸したレガスピは,1571年にマニラを攻略して植民地首府とした。マニラは,本国との通信手段でもあったガレオン貿易によってメキシコ副王領と結ばれ,植民地経済は中継輸出品を供給した中国商人に多くを負った。行政,軍事,司法権を握る総督のもとに州,町(プエブロ)が置かれ,先スペイン期の首長層は町レベルの役人として植民地行政機構の末端を担った。一方,マニラ大司教のもとに司教区,小教区が置かれ,スペイン人修道士らが町の中心にある小教区教会の主任司祭として住民の教化と日常生活の監督にあたり,世俗の植民地行政を補完し貫徹させた。カトリシズムは支配の道具であったが,住民は,18世紀以降のカトリック信仰の深化とその本質的理解の進展によって19世紀末葉のフィリピン革命につながる民族運動を支える抵抗の論理を引き出した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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