スターリン批判(スターリンひはん)
1956年のソ連共産党第20回大会でのフルシチョフ秘密報告から始まった動き。初めはスターリン個人崇拝の批判であった。61年になると,フルシチョフは第2次スターリン批判を公然と第22回党大会で行った。これはレーニンに戻れという姿勢からするスターリンの仕事と理論の否定的検討であった。だが,64年にフルシチョフを失脚させて登場したブレジネフ政権はスターリン批判を打ち切り,歴史に封印を下ろすという姿勢をみせた。歴史学者や異論派が抑圧された。そのなかで70年代初めにロイ・メドヴェージェフやソルジェニーツィンの著書が国外で出版されて,大きな波紋を呼んだ。ペレストロイカは歴史の見直し,スターリン批判の再開であったが,急速にレーニン批判,マルクス批判に転化した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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