スキタイ
Skythai 前7~前3世紀,北カフカース,黒海北岸にいたイラン系遊牧民。ヴォルガ川を越えて東方から侵入してきたらしい。ヘロドトスは,前7世紀にキンメリア人を追ってスキタイが西アジアに侵入したという。前者の痕跡は考古学的に確認しにくいが,スキタイの遺物は東アナトリア,西北イランに認められる。西アジアから引きあげたあと,黒海北岸で在来の農耕民を支配した。王侯は最大で高さ20m,直径100mに達する古墳を築き,墳丘内あるいは地下の墓室にスキタイ特有の動物文様を施した金属工芸品や武器,馬具を殉葬者とともに入れた。同様な文化が広く中央アジア北部,アルタイ,モンゴル高原,中国北部にも分布しており,まとめてスキタイ文化と呼ぶ。ヘロドトスによれば,スキタイは遺体を裂いて内臓を除去し,代わりに香りの強い草を詰めて縫いあわせたというが,その実例がアルタイ山中から発見されている。前3世紀にサルマタイに圧迫されてクリミアに小王国をつくったが,3世紀にゴート人によって滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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