対仏大同盟(たいふつだいどうめい)
Coalition フランス革命期より第一帝政にかけてフランスに対抗するためヨーロッパ諸国間に結ばれた7回の同盟。・〔第1次〕1792年のオーストリア,プロイセンの同盟に,翌年イギリス,スペイン,サルデーニャなどが加わって結成されたが,ポーランド分割における列強間の内部対立とフランス軍の善戦のため,プロイセン,スペインとのバーゼル和議(95年4月5日,7月22日),オーストリアとのカンポ・フォルミオ条約(97年10月17日)で解消。・〔第2次〕1799年にイギリス,ロシア,トルコ,オーストリア,両シチリアの間に結成され,マレンゴの戦いののち,オーストリアとのリュネヴィル条約(1801年2月9日),イギリスとのアミアンの和約(02年3月27日)で解消。・〔第3次〕1805年4月,イギリス,オーストリア,ロシア,プロイセン間で結ばれ,プレスブルクの和約(05年12月26日)で解消。・〔第4次〕1806年ロシア,プロイセン,イギリス,スウェーデン間に結成され,ティルジット条約(07年7月9日)で解消。・〔第5次〕1809年イギリス‐オーストリア間に結ばれたが,ワグラムの戦いののちのシェーンブルン和議(09年10月14日)で解消。・〔第6次〕1813年ロシア,イギリス,プロイセンなど全ヨーロッパ諸国が参加して結成され,14年4月のナポレオンの退位を獲得した。・〔第7次〕ナポレオンのパリ帰還に対抗して同盟が再編され,再びナポレオンを破った。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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