大改革(だいかいかく)
Velikie reformy 1856年に敗北に終わったクリミア戦争ののちに,新帝アレクサンドル2世は,改革派の官僚と皇帝に忠実な保守的官僚の両方を使って,農奴制を廃止し,社会を近代化するとともに,鉄道建設と工業発展を図る改革を開始した。まず1857年には鉄道建設促進の政策を打ち出し,そのために関税を引き下げ,古い金融機関の改革を始めた。57年から準備を始めた農奴解放は61年に実現され,つづいて63年には大学令による大学の自治の導入,64年には陪審裁判を導入する司法改革と全身分が参加する地方自治制を導入するゼムストヴォ改革,初等学校と中学校の改革,65年には検閲制をゆるめる改革が行われた。ポーランドの反乱が途中で生じたが,終始皇帝権力を利用して上から進められた改革であった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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